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国民のスタンダードモデル
http://a9bqmeygvg.blog.shinobi.jp/Entry/801/
保守嫌いwって書いたのは靖国のこと調べてたのが始まりだったりします。
(FreeJapanで復古主義と保守では違うといわれなるほどなぁと思いました。
ただ、現状の多くはその復古主義に近いのではないかと・・)
靖国:麻生前首相ら国会議員54人が参拝
http://www.chosunonline.com/news/20091021000016
麻生太郎前首相など日本の国会議員54人が20日一斉に靖国神社を参拝した。
この中には、中曽根弘文前外相、浜田靖一前防衛相、古賀誠元自民党幹事長など、 麻生太郎内閣で党政の中枢を担った人物が多数含まれている。
谷垣貞一現自民党総裁も、自民党総裁としては3年2カ月ぶりに参拝した。
参拝した議員らは大半が「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の所属で、この日靖国神社の 秋季例大祭に合わせ参拝した。
麻生前首相は、外相と首相に就任していた2007-2008年には韓国・中国との 関係に考慮して参拝せず供え物のみ奉納していた。
これはなぜ賞賛されないのでしょうか??
前々から疑問だったのですが・・例大祭が靖国にとってもっとも重要な祭事です。
秋季例大祭
http://www.yasukuni.or.jp/schedule/shuki.html
靖国神社で最も重要な祭事は、春秋に執り行われる例大祭です。秋の例大祭は10月17日から20日までの4日間で、期間中、清祓・当日祭・第二日祭・第三日祭・直会の諸儀が斎行されます。
春季例大祭と同様、当日祭には天皇陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、御祭文が奏上されます。当日祭後は、第二日祭、第三日祭と当日祭同様の祭儀が執り行われ、最終日には、例大祭が無事に終了することを感謝する「直会」が執り行われます。
秋季例大祭の斎行にあたり奉祝行事として献茶式、草鹿式が行われるほか、例大祭期間中、境内では各種奉納芸能、特別献華展、奉納菊花展などが催されます。
春季例大祭
http://www.yasukuni.or.jp/schedule/shunki.html
靖国神社で最も重要な祭事は、春秋に執り行われる例大祭です。春の例大祭は4月21日から23日までの3日間で、期間中、清祓・当日祭・第二日祭・直会の諸儀が斎行されます。
当日祭に先立って斎行される「清祓」では、神職はもとより祭儀に用いる諸具に至る一切が祓い清められます。当日祭では、生前、お召し上がりになっていた御饌神酒や海の幸、山の幸などの神饌50台をお供えして神霊をお慰めし、平和な世の実現を祈ります。また、この日には、天皇陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、御祭文が奏上されます。
春季例大祭の期間中、境内では、各種奉納芸能、特別献華展やさくらそう展などの奉祝行事も繰り広げられます。
上記は2つとも靖国神社のHPからのものです。
8月15日については「日本の声―英霊に感謝する集い」放鳩式として行事とされています。
http://www.yasukuni.or.jp/schedule/index.html
祭事ではないのですね。8月15日ってw
靖国の本筋からみれば8月15日よりも例大祭が重要なのは明白です。保守(復古主義)の方々が、8月15日に拘る理由は思想的なイデオロギーの問題ではないかと・・
なにが問題かといえば、第二次世界大戦で敗れたことの否定です。
ほぼ、これだけに近いでしょう。(自虐史観は問題ですが、聖戦扱いも異常です)
これは単純な話です。
日本近代史のトラウマや屈辱感を消したいだけでしょう。
別になくなるわけでもないのですが・・
歴史を見つめなおすと大東亜戦争によって多数の犠牲者が生まれ、多くの軍人がなくなられました。
現在の日本があるのは彼らのお陰です。
それらを英霊としてあがめることは良いことだと思います。
しかし、不遜を承知でいえば・・8月15日はただ単に「昭和天皇が玉音放送にて負けを認めただけの日」です。
靖国の成り立ちを考えれば、どうでも良い日といってもいいものです。
靖国神社の由来
http://www.yasukuni.or.jp/history/index.html
靖国神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。
靖国神社は、明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。
「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。
上記を読んで、大東亜戦争を特別視、神聖視して8月15日を槍玉に挙げる保守の方はどういった考えなのかわかりません。
まともに読めば、日本のために命を捧げた人達の慰霊を行う場所であって、眠っている英霊は8月15日に参って欲しいのか?と想像すると疑問しか浮かびません。
「靖国」の意味をよんで政治家批判をする神経を疑います。
例大祭の参拝は、本当はもっと評価すべきことなのに、なぜ評価されないのか不思議です。
靖国神社でもっとも大事だと靖国神社自身が証明してます・
正直、19世紀から20世紀の間のことでもめてるだけに見える部分があります。
日本の歴史からみれば非常に短い期間です。
視点を変えれば、日本の歴史を大事にするなら、神宮(伊勢神宮)、日光東照宮などを遇するのが普通の気がするのですが・・・
結局、今の保守の多くは明治、大正、昭和の時代を自虐史観として見るだけで、逆に日本の歴史を貶めているのではないか?と疑問に思います。
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私は保守が嫌いですw
(正確には保守論壇など、思想的なオピニオンリーダーですが・・)
理由は幾つかあります。
1.単なる懐古主義ではないのか?
よく、戦前の日本人は誇り高く(ryという論理展開に帰結してしまっている。
恐らく、明治、大正の文化人は、江戸時代は(ryといっています。
これは現状の団塊世代がよくいう昔は良かった(ryや、今の若者は(ryと同じ理屈です。
さらに言えば、イスラム原理主義にしても、コーランが正しいとの主張で現代化の逆行を促すだけの勢力です。
手段がテロリズムを使用しているので論外ではありますが・・
2.批判の為の批判に陥っている
10年ほどの流れをみても、小泉総理は売国、安倍総理は弱腰、福田内閣は媚中、麻生総理、鳩山総理も売国・・・
彼らが嫌うマスゴミと同じロジックとなっています。
結局、自分の理想と違うものは全否定しているに過ぎず、現状の日本にあった形を提示できていない。
3.主張に対する道筋を立てていない
核武装、憲法改正は結構なのですがその為の活動、実質的な手順が明示されていない。
核武装は技術的には可能でしょう。日本は諸条件は揃ってますしw
しかし、日本が核を保有した場合、唯一の被爆国wが核を持った時点で核は拡散するでしょう。
その後の、国際関係の緊張を考えればこの言葉がでるのは視野狭窄だと思います。
しかも、国民全体への核への拒否感をどのように払拭するのか?
憲法改正についても、同様です。
結局、衆参両議院で2/3の投票が必要で、さらに国民投票で過半数が必要になります。
そのための手順を明示している人は、保守といわれる方では見たことがありません。
左翼もどうようですが・・
私個人としては、結局、国民主権であるのだから、国民が権利と義務の意識を持つことに帰結せざるを得ないと思います。
その為の条件は複雑でまだ整理が付かないのですが・・
まずは、政治的関心を持つことからが一歩ではないかと考えています。
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実際に全文を読んだことがないですね。そういえば・・
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」
(いわゆる村山談話)平成7年8月15日
http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/press/danwa/07/dmu_0815.html
先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。
今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。
このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。
ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。
私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。
とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。
政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。
また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。
同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
私は村山総理が有能であったかと言われれば違うと思います。
阪神大震災の初動の遅さなどマイナス面が多いです。
ですが、村山談話をちゃんと読み直して見ると売国などといわれるものであるでしょうか?
恐らくは戦後賠償について蒸し返した点などが問題視されているのだとは思いますが、アジア通貨基金は民間基金として行われたもので、法的には国家賠償ではないようです。
まだ、知識不足なのですが保守といわれる方々が細微な部分について無視し、「売国」、「国辱」というレッテル張りを行っているのは非常に問題をこじらせていることだと思います。
1つの誤りで全てを否定する態度は、0か100かしかない愚かな態度ではないでしょうか?
次に河野談話です
いわゆる従軍慰安婦問題について(内閣官房内閣外政審議室)
1993年8月4日
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf
1.調査の経緯
いわゆる従軍慰安婦問題については、当事者によるわが国における訴訟の提起、我が国国会における議論等を通じ、内外の注目を集めて来た。
また、この問題は、昨年1月の宮澤総理の訪韓の際、盧泰愚大統領(当時)との会談においても取り上げられ、韓国側より、実態の解明につき強い要請が寄せられた。この他、他の関係諸国、地域からも本問題について強い関心が表明されている。
このような状況の下、政府は、平成3年12月より、関係資料の調査を進めるかたわら、元軍人等関係者から幅広く聞き取り調査を行うとともに、去る7月26日から30日までの5日間、韓国ソウルにおいて、太平洋戦争犠牲者遺族会の協力も得て元従軍慰安婦の人たちから当時の状況を詳細に聴取した。
また、調査の課程において、米国に担当官を派遣し、米国の公文書につき調査した他、沖縄においても、現地調査を行った。調査の具体的態様は以下の通りである。
▽調査対象機関
警察庁、防衛庁、法務省、外務省、文部省、厚生省、労働省、国立公文書館、国立国会図書館、米国国立公文書館
▽関係者からの聞き取り
元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総督府関係者、元慰安所経営者、慰安所付近の居住者、歴史研究家等
▽参考とした国内外の文書及び出版物
韓国政府が作成した調査報告書、韓国挺身隊問題対策協議会、太平洋戦争犠牲者遺族会など関係団体等が作成した元慰安婦の証言集等。なお、本問題についての本邦における出版物は数多いがそのほぼすべてを渉猟した。
本問題については、政府は、すでに昨年7月6日、それまでの調査の結果について発表したところであるが、その後の調査もふまえ、本問題についてとりまとめたところを以下のとおり発表することとした。
2.いわゆる従軍慰安婦問題の実態について
上記の資料調査及び関係者からの聞き取りの結果、並びに参考にした各種資料を総合的に分析、検討した結果、以下の点が明らかになった。
(1)慰安所設置の経緯
各地における慰安所の開設は当時の軍当局の要請によるものであるが、当時の政府部内資料によれば、旧日本軍占領地内において日本軍人が住民に対し強姦等の不法な行為を行い、その結果反日感情が醸成されることを防止する必要性があったこと、性病等の病気による兵力低下を防ぐ必要があったこと、防諜の必要があったことなどが慰安所設置の理由とされている。
(2)慰安所が設置された時期
昭和7年にいわゆる上海事変が勃発したころ同地の駐屯部隊のために慰安所が設置された旨の資料があり、そのころから終戦まで慰安所が存在していたものとみられるが、その規模、地域的範囲は戦争の拡大とともに広がりをみせた。
(3)慰安所が存在していた地域
今次調査の結果慰安所の存在が確認できた国又は地域は、日本、中国、フィリピン、インドネシア、マラヤ(当時)、タイ、ビルマ(当時)、ニューギニア(当時)、香港、マカオ及び仏領インドシナ(当時)である。
(4)慰安婦の総数
発見された資料には慰安婦の総数を示すものはなく、また、これを推認させるに足りる資料もないので、慰安婦総数を確定するのは困難である。しかし、上記のように、長期に、かつ、広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したものと認められる。
(5)慰安婦の出身地
今次調査の結果慰安婦の出身地として確認できた国又は地域は、日本、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、インドネシア及びオランダである。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地としては、日本人を除けば朝鮮半島出身者が多い。
(6)慰安所の経営及び管理
慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営したケースもあった。
民間業者が経営していた場合においても、旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した。
慰安婦の管理については、旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理のために、慰安所規定を設けて利用者に避妊具使用を義務付けたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の病気の検査を行う等の措置をとった。
慰安婦に対して外出の時間や場所を限定するなどの慰安所規定を設けて管理していたところもあった。
いずれにせよ、慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられていたことは明らかである。
(7)慰安婦の募集
慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼により斡旋業者らがこれに当たることが多かったが、その場合も戦争の拡大とともにその人員の確保の必要性が高まり、そのような状況の下で、業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた。
(8)慰安婦の輸送等
慰安婦の輸送に関しては、業者が慰安婦等の婦女子を船舶等で輸送するに際し、旧日本軍は彼女らを特別に軍属に準じた扱いにするなどしてその渡航申請に許可を与え、また日本政府は身分証明書等の発給を行うなどした。また、軍の船舶や車輛によって戦地に運ばれたケースも少なからずあった他、敗走という混乱した状況下で現地に置き去りにされた事例もあった。
うーん?別に特別に変なことは書いてない気がするが・・?
基本的に事実関係を述べてるだけだと思うが・・・
問題点はこの談話を利用して云々とかの話でしょうね。
この村山談話、河野談話とも談話自体は私は違和感を覚えませんでした。
いずれにせよ、慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられていたことは明らかである。
でもココの部分はそうではないといわれてますね。
個々の誤りについては、修正や見直しなどが必要かもしれませんけど、踏襲しないというのはおかしな気がします。
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