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昨日、なにも考えずに長浜の商店街に行ってきました。
そうすると結構な人でにぎわってます。
もともと観光地なんで休みは人が多いのですが・・・調べるとこんなことしてました。
アートインナガハマ
http://art-in-nagahama.com/
アートインナガハマのはじまり
1983 年、多くの市民の寄付を集めて長浜城が再興され、そこから沈滞化していた長浜のまちづくりの運動が芽を吹き出しました。博物館都市構想です。
1987 年、秀吉公が長浜のまちを作るために行った楽市楽座を、芸術の視点から再現し、芸術の似合うまちをつくろうと市民が立ち上がり、長浜芸術版楽市楽座(アートインナガハマ)が生まれたのです。
1988 年、旧黒壁銀行の建物を保存利用をめざして市民や行政が出資した第 3 セクター黒壁が誕生、翌年 7 月 1 日に黒壁ガラス館としてオープン。
以来 20 年間、市民が主導するまちづくり運動は年間 200 万人を超える来街者を生み、中心市街地の活性化の成功事例として広く知られるようになりました。
2008年の様子
http://art-in-nagahama.com/img/ain/photo/2008-01.jpg
http://art-in-nagahama.com/img/ain/photo/2008-02.jpg
http://art-in-nagahama.com/img/ain/photo/2008-03.jpg
今年もにぎわっている感じで、とても楽しかったです。
何も買いませんでしたがw・・・ソフトクリーム食べながら見てました。
今日10/4日も開催してます。あとで見に行こうっとw
長浜市のイベントカレンダー
http://www.nagahamashi.org/event/calendar/index.html
なんか十月は一杯だなw
豊公まつり(10/11)
http://www.nagahamashi.org/syusse/houkou.html
豊国神社(ほうこくじんじゃ)は、豊国大明神(豊臣秀吉)がまつられた神社です。
まつりでは、賤ヶ岳合戦の凱旋を表現した秀吉公や賤ヶ岳七本槍などの武者行列・稚児行列が行われます。
行列は、お昼頃に豊国神社を出発し、長浜八幡宮まで練り歩き、豊国神社に戻ります。
長浜きもの大園遊会(10/17)
http://www.nagahamashi.org/syusse/enyu/index.html
長浜きもの大園遊会は、歴史と文化に彩られた長浜の市街地一帯を、全国から集まった着物女性約1000人がそぞろ歩く日本一の着物イベントです。
参加者には海外旅行・高級きもの等豪華景品が当たる大抽選会や、まちかどイベントなど様々な催しをご用意しています。
古いまち並みに着物姿が映え、長浜が1年間でもっとも華やぐ1日です。
これは結構有名かな?町並みも着物が映えるように頑張ってますし
火縄銃大会(10/17予定)
http://www.nagahamashi.org/syusse/hinawa.html
長浜市と鹿児島県種子島の西之表市は鉄砲を通じた友好都市。国友・種子島両鉄砲隊による火縄銃の競演は、古式ゆかしいなかにも迫力いっぱいです。
種子島に鉄砲が伝来した翌年の1544年、国友で鉄砲の製造が始まったと伝わります。国友は戦国時代、信長、秀吉、家康などの庇護を受け、大坂の堺とならぶ鉄砲の産地として栄えました。
しかし、太平の世が続くと鉄砲の需要は激減し、鉄砲鍛冶たちはその技術を金工彫刻や花火に生かしました。
長浜城の再興を記念し、昭和58年に第1回長浜出世まつりで国友・種子島・堺の合同火縄銃演武が行われました。以後長浜市と西之表市は交流を深め友好都市となり、今も国友・種子島両鉄砲隊の火縄銃大会が行われているのです。
そういえば見たこと無いw母方が国友の人なのだがw
ちなみにイベントカレンダーにのってないが・・・
こんなことを............ (; ゜゜) コッソリ w
戦国英雄、仮装コンテスト(10/31)
http://www.shigayukan.com/news/2009/10/post_2162.html
31日長浜で、100組を募集、姫もOK
北近江戦国浪漫街道推進協議会は31日、長浜市街地で、戦国武将や姫に扮して仮装する「戦国英雄コンテスト」を開く。
当日は午後1時半に豊国神社に集合し、曳山博物館広場までをパレード。
広場で、衣装や甲冑などのデザイン性、アピール度、なりきり度などを審査員が評価し、グランプリには賞金30万円とホテル宿泊券をプレゼントする。
審査員は「戦国武将ぴあ」編集長の相羽康行さん、「歴ドル」美甘子さんら。
定員は100組。参加無料。申し込みは29日までに所定の用紙で。問い合わせは市観光振興課TEL(65)6521へ。
戦国武将ぴあ???歴ドル??・・・初めて聞いたぞw
中小企業庁のページにこんなのがありました。
滋賀県長浜市 株式会社黒壁
http://www.chusho.meti.go.jp/shogyo/shogyo/shoutengai77sen/machidukuri/5kinki/3_kinki_08.html
空洞化した街に「ガラス」で観光客200万人
第三セクター「黒壁」が民間主導でガラス事業を展開。都会から帰ってきた若い後継者が家業に専念しながら、伝統文化「長浜曳山祭り」を愛し、継承。
事業実施の背景
長浜は秀吉がはじめての城持ち大名になった地で、また大河ドラマ「功名が辻」の「山内一豊」は三代目の長浜城主である。
当地は「楽市・楽座」で知られるように、430年の間商業の街として栄えてきた。特に、地場産業として高級絹織物「浜縮緬」が長く当地の地域経済を支えてきたが、和装の衰退と共に業界も縮小していった。
また、昭和50年代に入りモータリゼーションの発達、大資本のショッピングモールの郊外進出などにより、中心商店街は急激に疲弊していき、商店主は高齢化し、シャッター通りとなっていった。
子どもの頃、母といっていましたがかなり酷い状態でした。
かつては、湖北地域15万人の商圏を誇っていた商店街は、月間わずか約4,000人の来街者となり、日曜日の午後1時間にメイン通りを「人4人と犬1匹」しか通らなかった。
当然、市民の悩みはこうした経済の衰退によって生活が脅かされることであるが、それだけでなく、秀吉の時代から護り継がれてきた豪華絢爛な子供歌舞伎を曳山と呼ばれる山車の上で演じる「曳山祭り」の継続が困難になることが問題となっていた。
さらに追い討ちを掛けたのが、昭和60年代初めにカトリック教会の郊外移転に伴い、旧黒壁の建物が売却され、その跡地にマンションの建設計画が持ち上がったことである。この建物は、明治33年に国立第百三十銀行長浜支店として建てられその黒漆喰の洋館である外観から「黒壁銀行」として親しまれ、その後、明治銀行、専売公社、カトリック教会に姿を変えながら街の賑わいを見つめ続けてきた。この街のランドマーク的な建物が取り壊されると聞き、当時の市役所職員が危機感を持って、地元の財界人に相談を持ちかけた。
そこで立ち上がったのが、青年会議所OBを中心としたメンバーで、貸しビル業、ホテル業、金属加工業、建設業、倉庫業などの様々な業種の企業家達である。
当初、土地、建物の買戻しと修復資金等で1億3千万円の資本金(長浜市 4千万円、民間8社 9千万円)で第三セクター「株式会社 黒壁」がスタートした。
建物は確保できたが、事業として何をするかが未だ決まらない。何度か役員会を重ねるうち、初代社長から「ガラスを作っている所には沢山の人が集まる。ガラスをやろう」との提案で、役員がヨーロッパに行き、超一流のガラス文化に感動し、長浜で本物のガラス事業を展開することとなった
もともとシャッター街だったのですが、物凄い復興を遂げたのですね~w
地元民だからあんまり意識しませんが・・
もっとも失ったものもあります。
子どもの頃、よく見た蛍がいなくなったり、何にも無い原っぱというか荒地がなくなったり。
けれど必死の努力でここまでなったんだなぁと・・
10年ほど県外にいたので気が付きませんでしたが
長浜まちづくり
http://www.nagahama.or.jp/machi/machi-top.html
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